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    学生時代、
    修学旅行や遠足というと、いつも決まって時間に遅れるバスがありました(行きだけではなく、たいてい、帰りもです)。はい、、、一成の乗る事になっているバスです。一成、兎に角、”周りに合わせる”という事ができません。歴代の名教授方も、その事には諦めていました。そもそも本人の頭には、集合時間さえインプットされないようなのです。もう、これは典型的な持病です。



    こんな事もありました。
    何の授業でしたか、兎に角、極度の運動不足を感じたらしい一成は、裸足のまま、いきなり教室の窓から勢いよく抜け出し、校外へと走り去って行きました(まだ、完全に授業中です)。その授業も終わって、さらに小1時間もした頃でしょうか、彼は彼の担任の先生と並んで校庭の向こうから帰って来たようなのです。それも、近付いてようく見ると、目を真っ赤に泣き腫らしているじゃありませんか。
    どうせ、また先生にこっ酷く叱られたんだろうと思って一応話を聞いてみると、これが全く別の理由でした。学校の外を走ってたら、いきなりオマワリさんに止められたのだと言います。そして「こんな時間(平日の真っ昼間に)学生が、しかも裸足で校外を走ってるのはおかしい!どっか、人様の家から何か盗んできたんだろう!?」と言われて、そのまま交番に連れて行かれたそうなのです。そこで、一通り、ああだこうだ尋問を受け、挙げ句の果て全人格を否定するように、「兎に角、周りと同じ生き方をしなさい。周りと歩幅を合わせて歩く事が大事なんだ。そうすれば、絶対に間違い無い。君よりも人生を経験して来た私が言うんだから、間違い無いんだ。」と説教を受けたと言います。
    まず、一成はこの話のあまりの馬鹿らしさに、心底厭気が差したのだと言います。重ねて、純粋に自分の責任で自分がした行為に対して、世間は束縛の眼を光らせて来る。それが蔓延した、この社会の空気感が限りなく息苦しい。その窮屈感に、先行きの憂鬱、また不安を覚えたのだと言います。つまり、彼のその時の涙には、彼自身の無力感や屈辱があったという事なのでしょうか。




    彼という人間には、なかなか一般的な角度からの解釈では少し理解出来ない要素があるようです。しかしながら、敢えて差し障りの無い事を言えば、上のような彼の性質は、自由というよりも単なる自己中にしか映りませんが、皆さんにはどのように映るでしょうか?いえ、それでも彼の中には確かな”自由”が存在して、しかも彼自身、それを”浪漫”だと解釈している節があるようなのです。また、それを一つの”可能性”であるとも、いつか彼が語っていた事を筆者は記憶しております。


    彼のいう”浪漫”こと”自由”に関しては、また後程触れて行くことにして、本日のところは一先ず閉館といたしましょうか。



    皆さん、一つ、茶席の余興にはなりましたでしょうか。長々とお付き合い有難うございました。

    (幕閉じ)







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