• We pursue a creative activity!!!



    先日、映画やドラマでも活躍されてる友人の舞台を見に行ってまいりました。
    ぃや〜、やっぱり格好いい!並んで写真を撮らせてもらいましたが、その圧倒的なイケメン度には自称ナルシストの一成くんも、歯が立ちませんでした(苦笑)。ーー(あぁ、一成ってナルシストだったんだ!?)…えぇ。但し、飽く迄”自称”です。ーー(あー、そうだろうなー、”ナルシスト”とはそうゆうもんだ!)…(−_−;)汗。

    内容は、新撰組を主に描いた喜劇でした。
    幕末の改革の波に散ってゆく武士達の悲劇を題材にしながらも、会場は度々笑いに包まれる、至って快活な作品になっていました。この、取り扱う内容と、その演出とのギャップが、この作品に奥行きを与えていたように感じました。



    自分の周りを見渡せば、本当に様々な世界があって、それぞれにそれぞれの情熱を傾けている、もの凄くエネルギーのある方達で溢れています。自分も、そんな方達の中にいさせてもらって、エネルギーを相乗効果でもって更なる正のスパイラルに預けて行く。エネルギーとは、本質として、そうした”共有(或いはまた”共存”)”から派生してゆくものではないかと観察しております。つまり、ある種、”無限性”を持ち得ているもの。

    これは実は、森羅万象、如何なる物事、現象、概念にも当て嵌まる考え方であって、この理念に則れば(というか、地球上の一人一人が、この理念を理解し得るのなら)地球は初めて大人になれるのではないかと思っています。

    (大きな括りで見てみると)まず、同種間(例えば、人間同士ーーいえ、人間こそがその始発点であり、帰着点でありましょうか)での戦争が無くなります。だって、エネルギーを互いで削り合うなんて、至極馬鹿げているじゃありませんか。

    次に、互いの知識や知恵、文化、能力といったものが、共有の上で掛け算式に可能性をこじ開けて行き、よりしなやかで、大々的な開発が進んで行きます。


    そうして、想像してみて下さい。全世界が、国籍や宗教、性、言葉、その他一切の”個性”や”違い”を共有する景色を!!

    例えば、”日本人だから、その大半が日本に住む”なんて常識、もしかしたら無くなってるかもしれません。全世界の人々が全世界に、その分布地を置くなんて時代が来るのかもしれません。

    例えば、あるバンドグループの構成メンバーが、皆肌の色も、喋る言葉も違っている。そうして、そのバンドは、世界中にファンを持つ。なんて景色も見えてきませんか?

    こんな景色、絶対面白いと思いませんか?実際、全然可能だと思うんです。

    しかもそれは、エンタテインメントの世界のみならず、政治やスポーツ、いえ、兎に角、一切のステージに置いて、本格的なグローバリズムが展開されてゆく、そんな所へ皆で向かって行きませんか?

    そうなったら、ワールドカップとかが持つ意味合いも、世界観も、今とは大分違ったものになっているのでしょうかね?


    話が随分大きくなってしまいました。はい、巻き戻し、巻き戻し…。


    自分の憧れる、兄貴の様な人。また会いに行きますね。今度は是非食事でもしましょう。




    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。

    %d人のブロガーが「いいね」をつけました。