例えば、恋愛に例を取ると、
そもそも、結婚制度って必要ないよね!?
「お付き合いしてください」って言葉、本当に必要!?
「別れの言葉、どうしたら相手を傷つけなくて済むのかな~。」なんていちいち考えている暇って本当に意味がある事なのかな!?
一例だけど、例えば”本当に愛した方が離れて行ってしまった”ってシチュエーション。
この時、(少なくとも、男の考えで言うと)
「じゃ、10年か20年後、もし万が一この子が自分を頼って来た時に、それに応えられるだけの物――経済力や経験、精神性など――を今この瞬間から蓄えよう!」
と考えるのが、一番正しい(”正しい”には語弊があるかもしれません)思考ベクトルの向く方向。そこに恋愛の気持ちが無くていい。あるのは、”繋がり”。
「じゃ、どうしたら彼女の気持ちを取り戻せるのか」とかって考えても無駄。だって人間は計算ではなく、感情の生き物だから。”何とはなしに始まって、何とはなしに違う場所に移ってゆく”。それが本来。
そもそも、人間は独立している。だから、始まりも移ろいも”自然”でいい。
ただ、そこにもまた”思いやり”が必要。2~3回誘って、なんとなく彼女が自分から離れたなと感じたら、そのままそっとして置けばいい。自分の寂しさ、悔しさ、悲しさは、今日を生きる――生きるしかない――自分の努力への資源にすればいい。
全てが、もっと自然でいい。流れに任せればいい。僕はもっともっと、全ての事から自由になりたい。
恋愛だけではない。今日に至るまで出逢った全ての人――幼さ故の仲違いがあった人も――と、今日も手を握り合って進んでる、それが、今日の僕のエネルギー。
自分も、他人も、受け入れられる範囲が大きいほど、つまりは成長すればするほど、僕らの自由度は限りなく広がってゆく。
生意気に、失礼しました。
’住所 地球’の皆様、今日も何卒よろしくお願いします。
一成