なんで僕らは生きるのかなぁ?
たぶん、誰しもが一度は思った事のある事だと思う。
これって、考えても結局は答えが見つからないままなんですよね。
小学生の頃だったと記憶しているのですが、
「どうせ死んでしまって、後には何も残らないんだから、何かを一生懸命にやるなんて、あまりに馬鹿げている」
なんて思って、物事に真摯に取り組まない自分がいました。けっこう冷めていたんですね。
これがそのうち、数年の月日の中でだんだんと意識がポジティブな方向に変わって行くんです。
「いや待てよ。どうせ生きる事を選択するより他がないのであれば、取り敢えず全力でやってみっか!」
「懸命に生きるには、なんだか馬鹿を見る気がしないでもないけど、何もせず、ただ漫然と死を待つよりは100倍マシだよな。」
ってな回答になってくんですね。ま、取り敢えず現段階では。
でもやっぱり、生きる意味なんてものは誰にも分かりゃしないんじゃないでしょうか。
ただ、「何で生きるのか」なんて事を考えてるんだったら、こちらからどんどん生きる楽しみを作り出してしまえばいいんじゃないかと思うんですよね。
要は”攻め”の姿勢。
こちらから、物事をどんどん掴みにゆく姿勢。
そうなった時、僕らを取り巻く一切の歯車が、色彩を放って回り始める。
”意味”なんて御託は後から付いてくりゃそれでいいだろ。
うん。
だね。