• We pursue a creative activity!!!


     
    あれは何年前でしたか、皆さん、”キンダーサプライズ”ってのお記憶にありますでしょうか。
    卵型のチョコレート(実際の卵よりも一回り程大きい)の中に、おもちゃが入ったお菓子です。
     
    夢に生きる一成にとっても、あれ程好奇心を掻き立てられるお菓子は他に無かったんじゃないかと思います。
     
    あそこに詰まっている”夢”に、僕らはお金を払っていたんですよね(あ、いや、当時の一成、厳密には”ママ”に買って貰ってたのですが)。
     


    ところで、手前味噌な話で恐縮なのですが、これもやはり一成が小学生低学年の頃、一成は学校の絵画の授業時間に、ある一枚の空想画を描き上げます。魚のお腹の中に、ある家族が団欒の時を過ごしている、その図を海の中に客観的に眺めた視点で描いた絵です。
    入賞や賛美を意図せず、単に描きたいままに筆を取っていたのですが、これが”空想画”の部でいきなり金賞を取ることになったのです。
     
    でも、そういった所謂創造物がまったくの無地から生み出されたのかというと、やはり下地になる物が必ず存在している気がするんです。
     
    この時の一成の絵も、実はキンダーサプライズのような物にヒントを得ていたんじゃないかと先日ふと思いましたので、今回の記事ではそこに触れてみようと思いました。
     
    もちろん、当時を振り返ってみて、あの絵にキンダーサプライズの観念が内在していたのかというと、どうしてもその記憶とは直結を見ないのですが、いづれにしても何らかのヒントが一成の周りには溢れていたのだと思います。一成は、無数のそれらを無意識のうちに取り入れていたのだと思います。
     
     
    僕ら人間はクリエイトという世界に置いて、
     
    ”我々は、我々に想像出来ない形や観念の物を創造する事は出来ない”
     
    と、ある本で目にしました。
     
    例えば、車のデザイン一つとってみても、何となく人間や動物を思わせるデザインになってますよね。フロントライトがやんわりと動物の目に似ていたり。などなど。
     
    つまり、クリエイトとは、
    無数の情報を取り入れた個人が、そのフィルターを介して新たに作り変える”リクリエイト”に他ならないのかな、って思うのです。
     


    今、一成は音楽の分野にクリエイトの喜びを見出しておりますが、これも、やはり同じです。
     
    以前、
    「一成、おまえ、よくそうやって音がどんどん出てくるよな」
    っていって、なんだか神か何かのように崇められた事がありました。
     
    しかし、それとて、僕にとっては全然職人技なんです。
     
    一曲生み出すのに、10〜20曲くらいは頭に叩き込みます。というか、頭に”解釈させる”んです。
    そうすると、インスピレーションの波が来た時に、堰を切ったように音が溢れて来ます(ーーちなみに、この、インスピレーションの生み出し方も、もはや恣意的に可能です。ご興味がお有りの方、また別項でその辺にも触れて行きますね。)。

    逆に、お勉強を怠っている時だと、インスピレーションを生み出す材料をいくら揃えても、面白いくらい音は出て来ません。
     
    ですから、やはり僕らクリエイターは、リクリエイトしてるのだなーって。
     
     
    えー、はい。今日はこの辺で、ご勘弁下さい。
     
     
    一成




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