僕が高校生の頃でしたでしょうか、
とある教会の階段で、お弁当を買ってムシャムシャと一間の休息を貪っておりましたところ、同じ敷地の幼稚園児の黄色帽が二、三、僕に近づいて来ました。ちょっと、そこいらではお目にかかれない僕の有様に、何やら興味を持ったという風でした。
そのまだ汚れを知らないあどけなさに共鳴した僕は、当然好意的に手を差し伸べました。
そうして暫く会話したのち、僕のお弁当もデセールタイムとなり、締めのチョコレートを出した時、当然二、三の黄色帽も目を輝かせました。無論、個別のそれを分け与えました。
そして、満足を持って僕から離れた黄色帽が足早に向かった先には、先刻から僕の耳に入るとも無く入って来ていた遠く微かな女性達の会話が有りました。黄色帽の親御さん方である事は言うまでもありません。
しかし、この直後の親御さん方の対応が僕の想定外だったのです。
それは、何か危険な物にでも触れたかのように、さっと娘、息子を抱きかかえて、その場を立ち去ってしまう、という驚きの珍事件でした。
成る程、物騒な世の中だから、外敵から子供を守る目的で、自然とそのような行動を取ったのでしょう。
しかし、どうでしょう?
この判断は、果たして本当に自分の子供を守る最善の選択だったのでしょうか。
んーー。
子供を擁護の繭で包む事で、外から迫るあらゆる外敵から守ろうとするのは、本当にその子を助ける術ではないはずです。
そうではなく、あらゆる外敵に対して、実際に手で触れさせ、子供自身に免疫をつけさせる方が、遥かに子供を守れます。
この時だって、本来ならば、お礼を言いに一緒に僕の所へ来て、一緒に一礼して見せる。僕という人間がどういった種族の奴なのか。僕の行為が下心なのか好意なのか。
そういった諸々を肌で子供に体験させる事が必要になりますね。
だって、今後、親の目の届かない所で、多くの壁にぶつかるのはお子さん自身のはずです。
人間関係、自我や性の芽生え、………、
ふふっ。
一成、何処に行ってもズレてると言われますが、不器用なりにも、めっちゃ真っ直ぐに生きてるんすけどね。
苦笑……………。
どうでしょうか、皆様。
では、また来週。
一成