敵を作らないような事を言って媚びばかり売っていても仕方がないと思うので、たまには敵を作る覚悟で想いをぶつけてみたいと思います。
今回は、ポップスと演歌について。
ヒットチャートに上がるものから、インディーズで敷衍せられているものまでを含め、日本の音楽はワンパターン化してます。
それらは、それぞれの分野に均一化して見られるある傾向があり、それをそのまま何度も繰り返して現代に至っています。
つまり、和声(コード進行ーー音楽の骨組み、つまり曲の表情と言ったら伝わりますでしょうか)が8割型一緒なのです。
そして、それを受ける聴衆の方々も又、それに完全に耳慣れしてしまっています。
一度、一昔前のものから現代に至るものまでを片っ端から分解して”読んで”見るといいと思います。物の見事に皆同じですから。
といっても、これは飽くまで芸術としての音楽の追求に主旨を置いた見解であり、ビジネスとしてのそれの前には、机上の空論としてあしらわれてしまうでしょう。
世の中のあらゆる職種は、繰り返される同じ作業の上に成り立っています。“盛り付け”を変える事によって、あたかも新鮮、斬新なものとして市場に搬出されています。
それでいいでしょう。誰も文句無しです。
(いや。一成、結局どっち派なんだ?
回答……”どっちも派”です。つまり、使い分けです。)
ただ、重ねて思う事は、これらの"同じ曲”を作り続けている限り、いづれAI(人工知能)に職を奪われる日が近しい事も念頭に入れて置かねばならないでしょう。
もし、そこから脱却して”作曲(創作)”が出来れば、まだまだ我々の音楽はAIの生み出すそれとの棲み分けが可能になるでしょう。
具体的な第一の解決策として、
まず、コードにメロディを当て嵌めるという
"コード先作曲技法”
を止める事。
これをやるのは、ピアノもギターも触った事の無い人が本気で作曲を学び始めて、最初の一年が適期でしょう。
そこで、感覚の土台を作ります。そこから後はレールを外して、いよいよ創作に乗り出す時期です。
ちなみに世の中に出回っている音楽、8割以上がこの初期段階レベルのものです。
世の音楽家、もう一歩だけ世界を広げてみませんか!?
共に新しい明日を築き上げて行きましょう。