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    男と女とでは、そもそも脳の作りが違うという。
     
    その昔、我々がまだ狩猟をしていた頃、男は狩りに出た。
    その男に求められた能力は、一点集中力。目の前にいる獲物に集中し、仕留める。
    だから今でも男は、二つ以上の作業を同時に熟す事が出来ない。その代り、一つの作業に没頭し、突出した成績を収める確率が高い。
     
     
    これに対し、女は、男が狩猟に出ている間、村(部族?まぁ、やはりその頃から生存のために群れてる必要があったって事ですね)の人たちと上手くやっていくためにコミュニケーション力を発揮する必要があった。
    だから今でも女は、よくしゃべる。

    この狩猟時代は、近代文明の発達した、たかだか何百年よりもはるかに長い歴史を有している。故、今でも深く我々の脳に根付いている。
     
     
    男と女は、互いのこういった脳の違いを理解していないために離婚するつがいが後を絶たないという。
     
     

    まぁ、つまり、男と女とは畢竟理解し合えないわけだ。
     
    女は、
    「男ってバカよね。」
    と思ってるし、
     
    そうかと思うと、やはり男は男で、
    「女ってアホだよな」
    って思ってる。
     
    フフッ。滑稽だな。
     

    結婚は忍耐だ、とは誰もが言うが、ずばりそういう事だ。最初の頬っぺたもとろけるような甘い時期はそれでいい。全てが甘いからだ。しかし、その時期を過ぎると今度は絶え間ない譲り合いが必要になってくる。
     
    そして、これを制度として互いを束縛し合う我々の風習は、考えてみればおかしな話だと思うのだ。
     
    近代の知識人の中には、
    「もはや我々がつがいでいる必要は無くなった。また、男と女を抜きで、群れる必要が無くなる時代に来ている」
    と見解している人もあるようだ。
    まぁ、この話はまた後で。
     
     
    そう、浮気って言葉。これもそもそもおかしい。これは、やはり結婚制度ってものがあるために、それに相対して発生する言語だけれども、これだって元を正せば個人の自由じゃないか。生物学的に考えても、勢いのあるセックス、つまりマンネリズムではないセックスは、健康や長寿にも直結する。すなわち、健康体で長生きしたければ、意欲的なセックスをどんどんしろ!って話になる。言い換えれば、我々は本能に背いて寿命を縮めているって事になる。
     
     
    ”近代化する”って事は、”能率化する”って事だ。ここには、”より自由になる”ってな意味合いも含まれている。その良し悪しは問わずとしても、我々人類は意識的にも無意識的にも、この流れの中に時を進めている。
    この大きな歴史の流れをくみ取ると、自然、窮屈である結婚制度というものがこのまま形を変えず永続するとは考えにくい。少なくとも、よりスマートな形に変化していく可能性は大いにあると見ていいだろう。
     
     
     
    そして一成の話になるけれども、彼は全く持って結婚する意欲が無い。
    というのも、彼には一つ夢がある。
     
     
    世界を周る事。
     
     
    ある土地にピアノが置ける小さな住まいを構える。そこに一、二年暮らして友人を作り、街との思い出を作り、そうして次の住まいをまた別の土地に作って移り住む。それの繰り返し。生まれ故郷に骨を埋めるつもりなど毛頭無い。
     
     
    一成は、作曲のために膨大な時間と精神的物理的空間を欲している。それらの夢の実現のために、今は勝負に出ている。あまり長引かせられない。早いとこけりを付けなくてはならない。
     
     
    今日も一成の挑戦は続く。




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