僕らが生きている、この2018年なんてものは、実はまだまだ未発達である。これから、僕のメチャクチャ興味の対象となっているところの所謂IoTやAIの実用化もどんどん進むだろう。100年先とか200年先の未来が見てみたいと渇望する今日である。
ところで、以前コンビニでバイトしていた事があるが、レジ打ちをしている時にいつも思う事があった。
僕がピッ、ピッ、っとバーコードを読み取っている時、自然、通された商品が卓上に積み重なって行く。それを何も考えず、又、スマホを弄る事もせずにボーッと突っ立ってただただ僕の所謂サービスを待っている人達がいるが、この人達は一体して時間の使い方を考えないのだろうか、という事。
僕は、利用頻度こそ少ないが、コンビニで買い物をする際には、必ず、
「袋詰めは自分でやります」
と言って、店員さんがバーコードを読み取っているうちに袋詰めを済ませてしまう。こうする事で、時間が大幅に短縮出来る。
おそらく、何年か先の近未来では、バーコードを読み取る事さえも不要になって、例えば、商品番号みたいな物(デジタルで認識出来るバーコード)を特定の機械が読み取って、料金を計算してくれる。そして、その支払いさえも、今で言うSuicaやQUICPayみたいな物の更に手軽なヤツが、一瞬で自動精算してくれている、そんな時代はもう目の前だ。
その近未来映像が現実のものとして想像せられるからこそ、今の時間の進み方に歯痒さを止められずにはいられない僕達は、一歩でも悪足掻きをして近未来人達にも劣らない時間割を工夫するべきだ。
ちなみに、僕には巷にある信号機が一切目に入らない。
身の危険を感じれば、その場で一時停止するが、そうでなければすかさず前進する(ちなみに僕は車に乗らない)。
車も来ない信号機で突っ立っているのが至極馬鹿らしいからだ。
そんな僕でも、一週間に一度のリフレッシュタイムである、"知らない土地を独り歩き”する趣味の時間には、信号機で立ち止まる事もある。それは、そこに見えているーー自分にその瞬間与えられているーー景色を楽しみたいからだ。これら例外には、相応の然るべき目的がある。
畢竟何が言いたいのかと言うと、
自分に与えられた時間を自分でしっかりとコントロールする事の大切を訴えたいのである。
一度きりの人生。
それは限られたもの。
自分に失礼の無いようにも、これらの時間の使い方は常に見直し、改善し、一分を一時間にしてしまうくらいのアグレッシブな心意気が必要である。