つい先日、久々に恋人に逢った。猛烈に恋い焦がれた女性である。思わぬ所での再会であった。
前回、最後に逢ったのはいつだったろう。
もう何年も逢っていなかった。
遠慮からか、連絡する事もなかった。 時折、彼女の誕生日が来ると、
「あ~、あいつ何してんだろうな~。元気かなー。」
と、遠くで想うのであった。
その美しさが僕の目の前に現れたのは、とあるクラシックコンサートの地方公演の会場だった。
演目も中盤となり、休演時間となった場内は、疎らな耳語でざわついていた。
その頃、窓外の、冬の痩せ細った木々を眺めるともなく眺めながら、温かいミルクティーで唇を濡らしていた僕は、ふと斜向かいの緩やかに上階へと続く階段に目を向けた。そこに、深紅のドレスを上手く着こなした女性が一人、異色の美しさで立っていた。その、何か真剣な瞳を持った女性は、優雅な足取りでありながらも、意を決するような風で僕へと向かって来た。
この瞬間、止まった時間の中で高鳴り始めた心を隠すように、僕はミルクティーの最後の一滴をもう一度唇に重ねた。
二人は、二人だけの世界に立って、言葉を交わした。
久々の再会である。
何か熱いものが僕の心を埋めた。
彼女の美しい笑みは、昔と変わらなかった。この世のどんなに醜い場所にでも、花を咲かせてしまうような笑みである。
僕は、ときめきながらも、温かいものに触れる安心を感じた。
・・・・・・・・
二人の出逢いは、高校の音楽室だった。
一人の時間を最も大切にしていた僕は、昼休み時間になると、誰もいない音楽室に入って、静かなピアノを鳴らすのであった。そこへ、ある時、ヴァイオリンを片手に後からこっそりと入って来て、言葉なく僕のピアノに乗せ始めたのが彼女だった。
曲は、エルガーの「愛の挨拶」である。
春のうららかな風に撫でられた窓際のカーテンが、音も立てずに踊るのを横目に、二人は、旋律を持って心を通わせていった。
僕の演奏は時折閊えながらも、その度に彼女は優しく笑って、不安定なテンポを最後まで追って来てくれるのであった。
演奏が終わると、丁度チャイムが鳴り響き、二人の間に意味深な沈黙が挟まったが、間もなく彼女は言葉も無く音楽室を後にするのであった。
この時、僕の胸には既に恋が芽生えていた。
今となっては、何処までも穏やかな思い出の1ページである。
・・・・・・・・
第2部の演奏も始まり、弦楽カルテットの音が会場を激しく染めながらも、僕は彼女の席が一体何処にあるのか、という事ばかりに気が行った。そんな僕の思いには脇目も振らず、演奏は続いた。
僕の師でもある、昔のロシアの作曲家の曲目も最終章に入り、愈々、第四楽章をDmajorで締めくくった。
鳴りやまぬ拍手喝さいが暫く続いたが、それもだんだんと下火となり、一人、又一人と人々は会場を後にするのであった。
僕もおもむろに席を立ち、ざわつく人並みに彼女の姿を探したが、ついにその日、二度と彼女を見つける事は出来なかった。
外の空気に体温を解き放ち、間もなく悴み出そうとする両手を手袋で覆い隠しながら、すっかり暗くなってしまった真冬の夜に想いを馳せた。
僕は、その日、何処へ向かえばいいのかも分からず、ただただ、街の明かりが滲んだ空気を胸一杯に吸い込むのであった。
―――――・―――――・―――――
次回へ続く…。