こうして毎週ブログを更新していると、時折一部の友人達から反応を貰える事があります。
「あの意味の分からないブログ(←褒め言葉)いつも楽しみにしてるよ」
「あれは文章というより、作品だよね。」
「一成の文章って、物凄く先が気になるんだよね。一週間待ち切れないんだ!」
「この人を知りたかったら、まずはブログを読むと良いよ!人と違う経験しているから面白いんだ!」
まぁ、要はただ生き方がバカなだけなんですが…笑。
しかし、これらの言葉を頂く時、僕は無論、無上の喜びと感謝を感じます。
その一意として、僕は自分の文章が独り善がりなものになってはいないか、という第三の眼を持つ事に常に気配りしているからです。故、実際に第三者からそれらの声を頂戴する事は、あたかも大海を行く船の羅針盤のように僕の進む先を照らしてくれています。
そう、僕がブログを書く時に心掛けている事は、
読者の方々が楽しめる物にする
つまり、飽く迄、他人にとって”価値”のある物でなければならない
という事。
どうしても時間を捻出出来ず、
それでもなんとか更新しようとして、
普段寝る時間に寝始まって、二時間くらいで激振の目覚まし時計をセットしてキーボードに身構えたりするのですが、
こういう時は、気合で文章を構築したとしても、読み返してみると、どうも独り善がりなものになりがちなんですね。
つまり、言わんとしている事を自分では理解出来ていても、読者の方から見たらちょっと複雑で意図が伝わらないよな、っていうものになっちゃうんです。使っている言葉がなんだか小難しい。
(ってか、眠さのあまり、いつの間にかキーボードの上で落ちてたりする。笑。気づくと、
rrrrrrrrrrrrrr、
とか、
vvvvvvvvvv、
って、画面上が酷い事になってる。苦笑。
皆さんもありませんか、こういう事。www)。
だから、自分の頭に湧き出て来ているイメージを如何にして人に伝えるか、
それは、一旦、共通言語に置き換えて、その上で発信しなければならないという事なんです。
複雑な部分を削ぎ落として、シンプルにしなければならないんです。
ここが一番難しい所であり、同時に楽しみでもあるかな!
何が言いたいのかというと、
自分が発信するものでさえも、”商品”にしなければならない、という意識を持つ事の必要です。
僕のブログが果たして”価値”になっているかどうかは甚だ怪しい所ですが、
価値の原石が頭に眠っていても、それを実際的に他者にとって有益な物とするには、やはり第三の目(客観性)を持って研磨しなければならないんですよね。
この姿勢は、生活上の全てに共通します。
「自分が一商品である」
という意識を常に持っていれば、自然と人との関わり方も変わってくるでしょう。
一瞬の感情に流されて怒る事もなくなるし、
人を蔑ろにする、
裏切って、目先の利益を独り占めする、
誰かの悪口、陰口を一部で囁く、
・・・、
などといった事も無くなります。
これらは、偏に自分の”商品価値を下げる”だけだからです。どんどん欠品送りです。店頭に陳列してもらう事すら危うくなります。
また、商品価値をある程度高めて置くと、そもそも――上の項目で言えば、――人に対して怒る、という場面が無くなります。
それは、日頃から人とのコミュニケーションを密に取れている事で、その人の周りに集まる人材が全て全面的なブレーンになるからです。
ブレーンが攻撃を仕掛けて来る事はありません。
こういう人は、自身も周りも”正のスパイラル”で構築されています。
だから、つまらない事が意識に介入して来る事さえないし、どんどん前に進みます。
同時に、自分が商品であるからには、その宣伝も怠ってはなりません。
僕は、現場で少しでも人の印象に残るように、靴を蛍光色の目立つ物に取り換えました。
そうしてそれを履いて行ったその日に怒られました。
その現場の仕事には、途中「イベント会場の客席案内」の業務も含んでいたため、目立ってしまうという理由で速攻ボツられたのです(笑)。
自分用の名刺が出来たその日に嬉しさのあまり、ジムで配り過ぎて、そのままジムを締め出されました。
会員制のテリトリーで、「ビジネスの勧誘行為一切禁止」との事です。
(いや、ビジネスじゃねーけどな。そもそもマネタイズ出来やしねーよ!www。)。
――いや、一成、ダメ続きじゃねーか!!
お前、偉そうな事抜かして置いて、一つも上手く行ってね―じゃねーか!!wwww。
しかしながら、少なくとも前述のような意識を持っているだけで、あらゆるチャンスが舞い込んで来るのは事実です。
―――やはり、前述のような現場で、花粉症だったのか何なのか、鼻をかみたそうにしていた方にそっと手持ちのポケットティッシュを差し出しました。すると、
スタッフA:「おォ~~、君いいねー!欲しかったんだよ~。」
って、会話の切っ掛けを攫んで、
一成:「~~(これこれ、こうで、)、
いや、実は自分、音楽作ります!」
A:「おォ~!!マジか!ねェねェ、Bちゃん、いたよ!音楽家が!この子使えるよー。」
B:「へェ~、そうなんだー。
ねェ、君~~(これこれ、こういう)仕事やらない?」
っていう展開になったりするわけです。
――(そう、話は脱線するけど、
皆就活とかっていって、あっち受けた、こっち受けた、落っこった、ダメだ思うようにイカねェー、
なんてやってるけど、
そもそも皆と同じタイミングと遣り方で面接なんて受けなきゃいいんじゃねーかと思ったりする。
だって、そもそも”自分という商品”を持ち歩いていれば、あらゆる局面の入り口⦅ここでは仕事の入り口⦆はそこらじゅうに転がっているものだからだ。同じレールに乗っかって”同梱”のパック詰めされるよりも、普段の何気ない現場で引き抜きの対象を狙うなどした方が、よっぽど商品価値高ぇんじゃねーかと思う。
も一つ言うと、
例えば、面接の際の履歴書とかも、そもそもいらねーんじゃねーかと思う。紙っ切れ一枚で人の何を判然するというのだろう?そっち側に立った事が無いから理解出来ないだけなんだろうか?でも、一緒にやってみて初めて何かを生み出すんじゃねーのか?あれは時間の無駄遣いなんじゃないか、とさえ思ってる。←どんだけ生き急いでるんだよ!!
まぁ、この話はまた別項で触れる。中学をろくに卒業してねーけど、IQ高ぇーし、仕事バリバリ!みたいなスゲー奴らを俺は肌で感じて来てるからなー。学歴とか履歴書の無駄を俺は人一倍感じてる。)。――
因みに、僕が筋トレを持続しているのも、別に僕が筋肉マニアだからではありません。偏に自分の商品価値を高めたいからです。陳列された際の”見せ方”、”見え方”も又、重要な要素になってくると思っているからです。
―――・―――・―――
まぁ、こんな感じで
”自分が一商品である”
事の具体例を書いて来ましたが、皆様にとって少しくは刺激になりましたでしょうか?
正解、不正解は別として、一つの生き方、越し方として皆様の茶席の一興になれば、それで幸いであります。
大根田 勝美 角川書店(角川グループパブリッシング) 2010-01-09
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