• We pursue a creative activity!!!

     
     
     宮﨑駿は四人兄弟だったという。
    皆、漫画を好んで読んだ。これは時代背景もあったろう。
    それからこぞって漫画の模写をした。
    内、一番下の弟のそれは駿の手も出ない程の腕前であったらしい。
    駿はいくら描けど描けど、弟には敵わない。
    それでも勝ちたい。
     
    この時の選択肢として、絵をやめて別の道での成功を目指すというのも有りだったと思う。
     
    しかし、駿は諦めなかった。
    ――どうしたら弟に勝てるのだろう。
    ――弟がやってない事は何か。
    ――自分に出来る事は何だろう。
     
    模索の日々が続いた。
     
     
     
    駿が高校に入学した時だった。
    自宅近くの井之頭公園にふと足を止めた。
     
    「・・・・・・、
     
     
            よし!ここで毎日絵を描こう。」
     
     
    駿は、そう意志を固めた。
    そこにある景色と共に、実物の人間の写実が始まった。
     
    しかし、漫画の模写とは違って、通りを行く人間の足は容赦が無い。描写せんとする画家の事など気にも留めず、どんどんとその視界を通り抜けて行ってしまうのだ。

    この作業は、なかなかに困難を要した。
     
     

    それでも、駿は持ち前の忍耐で目の前の課題と向き合い続けた。

     

     

     
    ――要は、描かんとする一瞬の色形を頭で忠実に再現出来ればいい。
     
     
    こうして、一日、又一日と、駿の一瞬の景色に対する記憶力が発達して行った。
     
    すると、普段何気なく生活をしていては気付かない、人間の行動や仕草に微細な個性があるのを発見するようになる。
    おじいさんと子供を比較してみても、その歩く歩幅やスピード、手の振り方から全てに異なる特徴がある。
     
    このようにして、駿の観察眼が鍛わっていったのである。
    後に、旅行に出かければ旅先の景色を写真ではなく自分の目に記憶させる。日々のあらゆるシーンに置いても、無意識に観察眼が機能する。
    駿と長年のタッグを組む鈴木プロデューサー(現スタジオジブリ代表取締役)も、
     
    「宮さんはね、物凄く”見てる”よー。」
     
    と、駿の観察眼を評価している。
     
     
    成程、ジブリ作品を見てみると、他社の作品との差別化として、人間の描写が際立っているのが分かる。その個性的なキャラクター設定に我々は意識的にも無意識的にも魅了されてきた。
    例えば、制作過程の中の「作画」の工程では、一般的な90分の長編アニメーションが1万枚の作画枚数なのに対して、ジブリのそれは8万枚を超える事もあるという。
    そこまで、リアリティーを追求すべくディティールにこだわりを見せている。そのため、ジブリ作品の長編アニメは2年以上の制作期間を要し、製作費は50億円以上に及ぶ事もあるらしい。
     
     
    いづれにしても、このような作風が生まれた背景には、前述のような駿の地道な努力があった。駿は、そういったトレーニングを4年間ほぼ毎日、雨の日でも続けたという。この4年に亘る作業を熟した事によって、駿は弟には無いアーティストとしての独自の能力を身に付けて行ったのである。
     
     
    ここに、”宮﨑駿”が誕生したのであった。
     
     
    因みに一つだけ付け加えて置くが、前述の鈴木プロデューサーによれば、駿のアーティストとしての特出した才能――殊に観察眼や写実的記憶力――を評価すると共に、彼の日常に置ける些事を処理する際に必要な一般的な記憶力の欠如を指摘されている点も又注意に値するものである。何らかの突出した能力に何年という単位の期間を使って磨きをかけると、その他の一般的な能力に欠落が生じて来るという事例は、他にもいくつも伝えられて来ている。例えば、アインシュタインなんかも、道で擦れ違った自分の娘に対して、自分の娘であるという正しい認識が出来ない、などという事が多々あったという。
    その他の例は枚挙に遑が無いので割愛する。
     
     
     
    実は作曲を一つの武器にする一成も、丁度高校の時から4~5年の間、毎朝40分間(タイマーをかけてきっちりと濃密に)音感を鍛えるトレーニングを欠かさず続けた。
    CDコンポから流れて来る旋律を電子ピアノを使って忠実に追いかけて行く地道な作業だ。絶対音感を有していない一成は、作業中何度も巻き戻しを繰り返す必要があったため、CDコンポを修理に出した事が何度あるか分からないくらいだった。今ではネット上にいくらでも無料の音源が転がっているし、前述した方法の音感トレーニングをする際にも、聴き直したいポジションにワンクリックで瞬時に飛べるため、物凄く能率的かつ便利な時代になった。そう、当時は一纏めにCDを店舗から借りて来て、MDというものに時間をかけて(といっても4倍速ではあったかな)ダビングしていたんだ。お金が無い中でも、そこにだけは惜しまず使っていたな。今でも変わらないけど、自分への投資には遠慮なくお金を使うよね。可能な限り。
     
    まぁ、こんな経験が一成にもあっただけに、前述の駿の秘話を知った時には、何かリンクする熱い思いがこみ上げて来たなぁ。
     
    そう、工夫が必要だから、この話を知った後であっても決して安心ではないのだけれど、実は一成にも日常生活に置いて明らかに一般的能力の欠如を疑う部分がある。
    駿と同じような事なんだけれど、例えば仕事をしていて、今言われたばかりの事が10秒後くらいには頭から抜けちゃっているんだよね。なんか容量が一か所しか無い感じなんだ。違う事が頭に介入してくると、一つ前の事が削除されちゃうみたいなんだ。そういえば、小学生の頃とかも、バスケ部のキャプテンとかやっていて、監督から昼休みに職員室への呼び出しとかあっても、ガチですっぽかしてたもんね。いや、厳しい監督だったから、気の緩みとかでは決してないんだ。本当に頭から抜けちゃうんだ。最近ADHDの記事とかも何か自然と目に入って来て、今度時間を空けて少し学んでみようとも思っている。
     
     
     
    ――
    まぁ、後半なんかただの日記みたいになっちゃったけど、今回の記事で何が言いたかったのかというと、自分の好きな分野、得意な分野に置いては、長い時間をかけて――といって、一瞬一瞬はめちゃくちゃ熱中してるのだけれど――徹底的に磨きを入れる事の必要っすね。そこで勝ち取った能力や技術は自分に大きな自信を与える。そして、その自信はその後の自分に大きな可能性を与える。何かに怖気づいても、その先に踏み出す勇気が湧いて来るんだ。他人のあらゆる能力や才能にも嫉妬を覚えるどころか、ブレーンになるっていうプラスの受け入れ方が出来ちゃうし、――もう最強だよ。
     
     
     
    さて、巨匠宮﨑駿監督の去ったジブリ!これからどう出る?
    今後のジブリの動きに注目だ!!
     
     
     
     


    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。

    %d人のブロガーが「いいね」をつけました。