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    この世に変わらない物など何一つ無い。

    この事実を誰しも分かっている筈なのに、それでも人は何か変わらない物を求めようとする。
    それは、紛れも無く、僕らが意識的にも無意識的にも”安心”を求めている事の裏付けである。

    日々変わりゆくもの、
    恋人に別れを告げる事、
    見えない明日へと進んで行く事、




    これらを人は無意識に嫌うが、
    実は、この事実こそが僕らに希望と充実、成長を与えてくれている。
    故、変わりゆく一切の事実、事象に対して、僕らは背を向けるべきではないのだ。真正面から受け入れて、日々、まだ見ぬ境地へと踏み出す一瞬一瞬を僅かな緊張と共に味わい楽しむべきなのだ。


    僕が義務教育を受け、身近な知り人と会話をしここまで生きて来たが、振り返ってみれば多くの誤った考えを浴びるように染み込まされて来た。
    誰が最初に言い出したのだか分からないけれど、誰しもが一度は耳にするフレーズを同じように聞かされた。
    それらを口にする人達は、別に悪気は無く、しかしながら、そういった考えを本当に論理的に自分自身で考え出したわけでは無かった。周りが何の考えもなく、当たり前のように囁いている一般常識、通念とやらを同じく何の考えも無く盲信しているに過ぎなかった。

    僕はその事実を認識する迄に長い時間をかけてしまった。お陰で僕は遠回りをして来たのかもしれないとさえ思っている今日である。

    いや、決して遠回りではないよな。

    良いものも、悪いものも、その全てが今の僕に直結している。
    まずは、今の自分を受け入れよう。

    そして、ここから、この瞬間からまた輝く明日へと目を向けて行けばいいか。



    ーーー
    そりゃ、あんた何を考えてそんな事言ってんだよ!何処のどいつがそんな事言ってたんだよ!
    と、反論したくなる常識なんて世の中にめちゃくちゃ溢れてるよなー。それを逐一挙げようとするとマジで切りねェーんだけどさ。

    なんだったかなー。
    ーーー


    「今の内にちゃんと勉強しておけば大人になってから苦労しないよ!」

    義務教育施設では、未だにこんな事が言われているのであろうか?
    これ、外枠は間違いじゃないんだ。確かにその通りだ。
    しかし、大人はこれを将来の自分に”保険をかける”というニュアンスで口にしていた。
    この観念の部分に大きな間違いがあるのだ。

    人は誰しも、まだ見ぬ未知の日常のために努力をする事など出来るものか!
    明日死んでしまうかもしれないじゃないか。

    今日僕が大好きな子と愛を誓い合って、手を取り合って、熱い視線を交わして、って幸せを噛み締めていたとする。
    一方で、来るかも分からない10年後の自分のためにやりたくもない勉強を一日中やらされて、何故自分が今目の前の学問に取り組んでいるのかも分からず日を送ったとする。

    仮にこの双方が一ヶ月後にコロッと死んじまったら、絶対前者の勝ちだぜ!
    ちゃんと成仏出来るってな話さ。
    後者じゃ、成仏なんて出来やしねーぜ。


    そうじゃない。
    “努力”とか”苦労”とか”真面目に”とかって堅苦しく教えようとするから勉強なんて詰まらなくなっちまうんだ。
    実際、そう言うオメェーたちゃ、勉強の”べ”の文字もありゃしねーじゃねーか!何をトンチンカンな事言ってんだ!?


    学問は楽しい。
    頭に一定の刺激を与えるのは、人間の脳科学から言っても幸せを感じる自然な行為なんだ。

    このように、同じ土俵にたって一緒になって楽しめば、皆もっと疑い無く学問に取り組める。
    そう、大人の”無知”が、これからの”才能”の芽を摘み取って行ってしまうのだ。

    死ぬその瞬間まで、

    “自分は無知である”

    という認識を持った方が良い。
    無知は、時として悪にさえなり得るのかもしれない。

    ーーー


    ちなみに、僕は未だに算数をやっている。
    数学ではなく、算数だ。←笑。
    頭がスッキリして心地いいもんだ。


    僕の場合で言ったら、この事によって文章が恙無く出て来たり、楽曲のインスピレーションが出て来たりと、実際的な効果があるから未だに取り組める。

    僕の場合で無くとも、一定の刺激を与え続ける事によって、脳は活動と休息のダイナミズムを繰り返す。
    この停滞しない移り変わりこそが脳にとっての最大の奉仕なのだ。


    同じように、
    淀みの無い移り変わりこそが、
    我々にとっての真の幸せであるという事を皆は意識出来ているだろうか?
    これは又別項で改めて触れて行くが、

    例えば水の流れとか、川とかも同じだよな。
    流れが止まってしまった溜まりは、その内淀み出して見るも無惨に汚くなるいっぽうだよな。
    川は、常に流れているからその透明度を保てるし、美しく僕らを魅了してくれる。

    お金なんかも同じで、
    今の内から貯金だ、保険だ、老後だ、
    などと言って懐にばかり溜めていては、いづれ死金になってしまう。価値が無くなっていく。
    そうじゃなくて、自分自身への投資や、友人、他者などへの奉仕に使って行くから、そこに価値が生まれて更なる大きな巡りでまた自分の所へ戻って来るのだろ?


    このように、この世のものはいづれのものであっても、流動する事に本質的価値がある。


    “安定する”とは、安く定まると書くように、僕らにとっての真の幸せでは無い。
    リスクを取ってでも飛び出し、成功と失敗の新陳代謝を繰り返し続ける、当にその過程こそが、僕らの求める幸せであり、”生きる”という事なのではないだろうか?



    ーーー
    あぁ、初めに今回テーマにしようと思った事と少しだけズレちまった。

    まぁ、こんな粗削りな文章ですんませんのですが、少しづつ、一成というこのバカな男を表現して行ければと思っております。


    どうぞ、また次週もご愛顧お願い申し上げます。



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