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    スーパー銭湯

    僕はそういう所へは暫く遠ざかっていた。

    しかしながらその日僕は、何か普段とは違う事をしてみたいなと思い、何とは無しにそこへ入ったのだった。
    地元1のスーパー銭湯だ。

    そこで僕は、普段あまり目にする事の無いテレビという機器の前に突っ立ってみたり、アイスキャンデーを舐めてみたり、大浴場の広さに驚いてみたり、まぁ、思惑通り”普段とは違う事”に浸れていた。



    僕が露天風呂へ移って、青空の雲の一切れが漸く視界の外へと消えようとする頃、まだ小学校にも上がらないような子供が(おそらくは)妹(であろう)を連れて内湯から外へとやって来た。
    その賑やかさが近くに現れて、外湯の静かな湯気が楽しげに踊った。

    僕は暫くそのはしゃいだ様子を柔らかく見守った。

    それから男の子が露天風呂を囲う大きな岩の一つによじ登った。

    僕と彼は、何気無く視線を合わせた。


    そのまま僕は、ジェスチャーで
    「飛び込め!」
    と伝えた。

    やりたい事はどんどんやった方が良い、と思ったからだ。
    周りの大人がどういう目を向けようと知ったことか!
    俺たちはやりたいようにやるんだ。
    口を挟むんじゃねー。


    彼は、許しを貰った嬉しさで熱い湯に素直に飛び込んだ。
    穢れを知らない湯飛沫が僕の心と共鳴した。
    飛沫の破片は夏の太陽に煌めいた。


    すると、僕らの"味わい”に反して、同じ湯にいたジ様(オヤジ)が彼にイチャモンを付けた。


    それを受けた僕は、
    「こいつも人生随分不自由な生き方してやがるな」
    と、内心では思いながらも、直ぐに近づいて行って、

    「失礼しました。僕が彼に飛び込めって言ったんです。僕がいけないんです。すいません。」

    と謝った。

    彼一人を悪者にしてしまう、僕自身の”弱き”を嫌った。

    同時に、彼の人生から自由と度胸を奪いたく無いとも思った。
    僕が直接何をしてやれるわけでもないが、
    どうか、その人生を楽しむ心意気を死ぬその瞬間まで持ち続けて欲しい、
    他人の無責任な言葉に悲しく染まらないで欲しい、
    と願った。
    いつだって、他人の批判の視線程、己にとって無価値なものはないのだ。


    自由な空を駆け巡る才能の芽を
    人生を諦めた大人達がいつも無責任に摘むいで行ってしまうんだ。いい加減気付いた方がいい。


    人生は自由だ。自由そのものなんだ。



    そんな思いを胸にもう一度僕は晴天の下の湯へ首元まで浸かった。

    それら顛末を同じ外湯で目に入れていた外人が二人いた。
    僕も一度だけは二人と視線を交わしもした。

    見たところ親子であろう事が伺えた。



    その十数分後、僕は屋内の温水プールで下手くそな泳ぎに夢中になっていた。運動不足の体には丁度いいアスレチックだった。

    ーーー
    そう、僕は低学年の頃から勉強はこれっぽっちも出来やしなかったけど、運動だけは何をやっても上手く行った。その分野の習得は早かった。
    しかし、何故か水泳だけはてんで駄目だったんだ。後、学校も行かなくなってからはスイミング教室に通ったりもしたくらいだ。
    でも、あれは水に対する恐怖心が障壁になってたんだな。
    出来ない事、苦手とする事の原因究明とその解決こそ、人生に興趣を与える事はないよな。
    だけど、その頃から音楽の夢を持っていたから、限られた時間とお金の中で、今はこれをやってる場合ではないよな、と判断しマスターしないうちに退会してしまった。
    人生の何処かで、また挑戦したいとは少しだけ思っている。

    ーーー


    暫くそうして泳いでいると、先刻の外人親子が同じ温水プールに入って来た。

    ずっと英会話の出来る事への憧れを抱いていた僕だったから、まぁ、駄目元で話してみるか、と思い、すかさず声をかけた。

    挨拶程度の遣り取りは出来たが、その他は全く会話にならなかった。

    彼らがオーストラリアから旅行でこの日本に来ている事。
    やはり親子であった、その内のお父さんの方は建築の仕事をしている事。
    30歳にまだ少し届かない年齢の息子さんの方は、やはり建築業界の勉強のため学校に通っているとの事。
    また、僕が音楽家を目指している事。

    その程度の初歩的な会話だけは出来たか。
    それも僕は必死だった。
    先方の一言に対して、三回くらいは

    「Pardon?」

    「I’m sorry?」

    を繰り返した。


    が、それでも、
    「こいつ、変わった奴だな。」
    くらいの印象は残せたらしかった。


    ―――僕は、その瞬間には想像にも浮かんで来なかった。その二人と今もこうして交友を深め、地球の真逆に居てもメッセージのやり取りを交わしているこの事実を。―――


    そうしていつしか、その二人も温水プールを上がり何処かへ安らぎの場所を移した。


    僕も、暫くゆったりとした後、
    まぁ、一通り楽しんだな、という満足感を持って湯を抜けた。


    数分後、僕は冷房の優しく効いたロッカールームに戻った。
    そこには意図せず、やはりHughとChrisがいた。先刻の外人親子だ。


    このタイミング、先刻の遣り取りなどから、僕は瞬間のリズムを掴んでいた。

    迷わず手が動いた。


    僕はその頃、いつ何処にいても自分の宣伝が出来るようにオリジナルの楽曲を入れたCDをバックに常備していた。

    その時も、CDのインデックスカードに日付と相手の名前を書いて、今日の出会いと一緒に時間を過ごせた事への感謝、相手への敬意などの言葉と共に渡した。


    数日後だったか、
    Hugh(お父さんの方)から電話番号宛にメールが送られて来た。



    そこから、僕らの親交が始まった。



    ーーー

    そのおよそ2年越しである。
    彼らがこっちへ出て来るので、是非一成も一緒に時間を過ごそう、というお誘いを受けたのは。


    僕は、
    「楽しそうだな」
    と思い、言語の心配はあったものの、それがために断るなんて勿体無い判断は出来なかった。


    それから数ヶ月後、約束の日に僕は、約束の場所へと向かった。



    ーーー



    その日僕は、オーストラリアの友人に会う為、自宅から約2時間の道程を鈍行列車に揺られていた。

    ………


    ーーー

    次週へ続く。

     
     
     


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