今の日本に生まれただけで、もう既に勝ち組の中に入っているのかもしれないが、
その中にあっても、何かをしようと思った時に必要となる金や人脈が初めから揃っている、なんて人はほんの一握りだろう。
僕の10代、間も無く20歳にも届こうかという時分には、自分一人の力で何でも出来ると思っていた。
自分の音楽は他の追随を許さないと本気で思っていた。
そんな僕に協力してくれる人など現れる筈も無い。
バカの骨頂である。
その種の高慢さには、必ず足元を掬われるから気を付けた方がいい。
人生の成る可く早い内に一度経験してみて失敗しちゃった方が良い。
「オレ、オレ…」
と、一度天狗になるだけなってみたらいい。その内そんな事にも飽きてしまうから。
つい先日、
あるYouTube動画で、
今波に乗っているアーティストが、
酔っ払うと、
「俺は天才だ。」
と連呼しているという情報を得た。
凄く理解出来る。
まさに僕の10代後半に同じだ。
芸術家、クリエイターとはそういうものだ。
彼らの正体は、自己陶酔の極みなのである。
自身を誇張する彼らは、
そのスキルとは別の所に、
何らかの引け目、もしくわ自信の無さ、又は敗北感といったものを抱えている場合が多い。
彼らは、その穴を埋めるかのように死に物狂いになってスキルを磨く。
自分を守るためだ。
弱くて、小さくて、自尊心を埋められぬ自分が歯痒くて仕方ないのだ。
そこまでしてさえ、なお届かぬ”然るべく自分像”へ精一杯手を伸ばして、結果、無様な恥晒しになる。
周りにチヤホヤされて自身でも気付かぬ場合が殆どだが、”痛い”事甚だしい。
しかし、その段階を越えて視野の裾野が広がると、自分のスキルなど、世の中にごまんといるスゲぇー人達のほんの端くれに過ぎない事に気付かされる。
そこまで来ると、生きる事、延いては何かを追究する事が愈々面白くなって来る。
自分を守るつもりで始めた事が、いつしか純粋に高みを目指す、それそのものの面白みに真理を見出すようになるのだ。
あらゆる分野において、世界中がこの真理を追い求めている。
世の中は、本当にスゲぇー人達で溢れかえっている。
話を戻すが、
いくら技術が磨かれたといえ、それだけでは、そこに価値は生まれない。
そこに価値を生もうと思ったら、今度はその原石を人に伝達して行かなければならない。
そうして、人に届いた時に、初めて原石が光り始める。
すなわち、価値を添えてくれるのは決まって他者の存在であるという事だ。
これを理解して初めて世の中の巡りに参戦出来る。
では、世の中に参戦するにも、そもそもどうしたら自分の原石を他者に伝達出来るのだろうか。
そこには、金や人脈といった、自己スキルとは全く別次元のリソースが必要不可欠となる。
部が悪い事に、
世の芸術家達は、自己陶酔症状が酷過ぎて、極度に視野が狭くなっているため、このリソースの獲得に往々にして遅れを取りがちだ。
ここに一つ、芸術家の弱みがある。
この弱みを克服しようとした時に、果たしてどういった手段が考えられるのか。
結論から言ってしまえば、
そんなのなんだっていい。
ふと界隈を見渡せば、コミュニティなど何処にだって存在している。
人類が存続する限り、コミュニティの数も無限に存在する。
そこに乗り込んでしまいばいい。
今はインターネットだってあるから、そこに”顔”を作ったっていいだろう。
自身に不足している技術があったって、ネットをsearchすれば一発だ。
アウトソースをすればいい。
更に言うと、
自分の手元に既に価値のあるリソースがあるのなら、金と人脈がゼロの状態でも、ネット上で手元のリソースをプレゼンする能力さえあればいきなり成功に繋げられるのかもしれない。
しかしながら、
手元のリソース一つで成功を勝ち取れる人材の方が圧倒的に少数派であろうと思う。
僕のリソースも欠落だらけだ。
そんな時、手を差し伸べてくれるのは、やはり自分の周りにいる人達だ。
自分の技術への投資や金銭の貯蓄と同時に、
周りに居てくれる人達への投資も早い内から視野に入れておいた方がいい。
その目に見えぬ財産は、必ず思いも寄らぬところで自分を助ける。
また脱線しそうになった。
話を戻す。
そんな僕がオススメする一つのコミュニティがある。
それは、
トレーニングジムだ。
いつの時代でも体作りは、一つの資本だ。
仕事も遊びも体力が全ての鍵を握る。
学校の試験勉強を見てもそうだろう。
部活で徹底的に体力を鍛えていたヤツの方が圧倒的なスピードで学力を向上させてゆく。
体力が尋常じゃないからだ。
集中力とはすなわち体力である。そこに、意志や想いが重なった時、そいつは誰にも止められぬ勢いで成績を上げてゆく。
だから僕は今でも体力が落ちる事を最も恐れている。
そして、今や、社会的階級の垣根なく、誰もが同じ土俵に立って会員になれるのがトレーニングジムなのだ。
そこには、目的を同じくする同士が顔を連ねている。
しかも、年齢の差異、階級の差異が悉く無くなるのだ。
社長クラスと一介のアルバイトが、畏まらずに笑い合うのだ。
これが人脈ではなくて何であろう。
事実、コミュ障の僕でさえ、
普通に暮らして居たら絶対に出逢いようの無かった人達とLINEやSNSで繋がっている。
例えば、
音楽家を目指す僕が、プロの音楽家と普通に話をさせて貰えるのだ。
こんな環境他には絶対に無いだろう。
会費月1万円を高いと思って入会を渋っている夢追い人に伝えたい。
“使い方次第だぞ!?”
と。
まずは、”そこ”の顔馴染みになる事だ。
人生経験ペーペーのこちら側から会釈して顔を覚えて貰おう。
ジムエリアに入る時には、必ず会釈から始まるのだ。
それを20回も繰り返せば、
「坊主!今日は調子はどーだい?」
なんて声をかけて貰える。
そしたらチャンスだ。
そうして、絶え間なく周囲に浮遊している目に見えぬチャンスを一つ一つ懐に収めて行こう。
死ぬその瞬間まで水を遣り、日光を当て大切に育てて行くのだ。
そういう日々の姿勢から、必ずチャンスが巡って来る。
ジムは、体が鍛わるし、人と繋がれるし、一石二鳥だ。
………。
と、
ジムばかり贔屓目に押してしまったが、
まぁ、繰り返しになるが、コミュニティなど何処だって良い。
大切なのは自分自身の”姿勢”だ。
自分が思っている以上のチャンスがそこら中に転がっている。
それを一つでも多く掴めるように、日々自己を磨き、アンテナを高く張って生きて行きたい。