彼は目下恋の病患い中だという。
とあるアロマセラピストにあっという間に恋をしてしまったらしい。
一目見て、それまで出逢ったことのない種類の美しさに吸い込まれた。
その女性には限りなく汚れのない清潔感があって、
その仕草や使う言葉、声音など、
日頃から身辺を綺麗に保ってないと、決して表出してこない種の美なのだそうだ。
僕は内心、
「何を分かったようなことを……」
と思って聞いていたが、
彼の瞳の輝きは、まさに恋するもののそれだった。
ところが、
聞いてみると、彼女には既に家庭があるという。
僕は咄嗟に言った。
「別にいいじゃん。そこに割って入らないようなお付き合いの仕方をしたらいいんじゃないの?」
と。
彼は、目を見開いた。
「よくそんなに冷静に言えるなぁ!?
そう簡単に行くか!」
いや、でも、僕は思う。
これからの時代は、テクノロジーによって一人辺りの自由時間が増える。また、時代は間違いなく多様性を求めている。
従来のような、お堅い規律をバカ真面目に守る思考はもう古い。
日本がその昔、鎖国をして大失敗したのと同じことが、現在の恋愛事情にも起こっているのだ。
もちろん、一人のパートナーと長い時間、様々な喜怒哀楽を共有し、共通の繋がりを日々育み、共に豊かな人生を築きあげるのも、この上ない美徳だ。
その美徳が、地球人の生命を紡いでいる。
しかし、
僕らが生きるということは、すなわち日々成長し続けるということだ。
新しい出逢い、刺激、世界を見ることを諦めてしまうことも、また一つ、古い時代の悲しさがある。
人は、形のないものに対して不安を抱く。
なるべくなら消し去りたいのが、不安などのネガティブマインドだ。
だから、従来の結婚制度には、
“貞操を保ちなさい”
“一人のパートナーだけ愛することを誓いなさい”
などといった暗黙のルールが存在する。
少しでも”約束”を取り決めることで、それらネガティブマインドから逃れるための心理的ゆとりを確保しているのだ。
(僕は、正直言うと、これらの通念は、
特定のパートナーに対する過度な依存なのではないかとさえ思っている。)
しかし同時に、
それらの取り決めが、我々の自由と成長を妨げる要因にもなっている。
このジレンマの中にあって、このことを我々はどうのように解釈すればいいのだろうか。
そもそも、物事には、グラデーションというものがある。
白と黒の二色ではない。
恋愛だって同じように白か黒かではないはずだ。
一生添い遂げると決めた人に対する信頼。
共通の繋がりというものを誕生させた無二の存在に対する感謝。
同じ屋根の下に暮らすパートナーには見せることの出来ない自分の一表情を発散する別の居場所。
まだ、経済力を持たない未来ある可能性に対しての投資行為。
その他、パートナー同士の組み合わせの数には枚挙に遑も無いが、これらのバラエティーを同時期に並行させてはいけないなどと、誰に言えるのだろうか。
少なくとも、これからの時代のツールが、それらバラエティーの同時進行を可能にする。
新しい時代のテクノロジーは、僕らに、これまでに無い余暇の時間を与えることは目に見えて想像できるからだ。
そんな余暇時間と精神的ゆとりの中にあって、
「毎日同じカレーだけを食べなさい」
と言われて、誰がその通りにおとなしくしていられると言うのだろう。
そう、
ここで、
僕が是非とも紹介したい映画がある。
◇5時から7時の恋人カンケイ◇
というヤツだ。
数年前に一度レンタルしてきて観ているのだが、
その時には、物凄い共感したのを覚えている。
「僕の表現したかった世界がここにある!」
って感覚だった。
その映画を数ヶ月前に改めて観る機会があったが、
この映画の脚本を書いた人(もしくわ原作者?)は、確かに未来の世界を正しく捉えてる、と思った。
見据えている、と。
この映画は、
人がなかなか意識することの出来ない、
目には見えぬ“信頼関係”を描いている。
形のあるものだけを信用しがちな我々未熟な人類にとって、新しい価値を提示してくれている。
こういう目には見えぬものを正しく捉えられるようになった時、我々は本当の自由を手にすることが出来る。
それは、不埒とか、不体裁とか、そういう類の思想ではない。
日々、可能性を追求するために生まれてきた我々人類を正しく解放してくれる、
自由と前進の思想だ。
同じ指輪をはめるパートナー以外と、ちょっと火遊びしただけで、
不倫だ、裏切りだ、離婚だ、子供に合わせる顔が無い、
だのとのたうち回るような、上っ面な信頼関係しか結べないくらいの組み合わせなら、
そもそも一緒になるまでの必要もなかろう。
この映画に描かれた、
出逢い、
愛情、
信頼、
友情、
知性、
年月、
は、誠に美しい。
至上の美だ。
生きることを心から愛せる。
是非、僕の言わんとすることを、
この映画を通して、
文面の前のあなたにも受け取ってほしい。
これからは、
自由と多様化の時代だ。
僕らは、その中にあって、
可能性を追求するために生まれてきた。
新しい時代に踏み込むことを恐れるな。
僕らの明日は、希望に満ち溢れている。
………..と、
ここまで勢いで書いてきてしまったが、
そうは言っても、
まだ現代の価値観の中にあっては、
僕の信じる思想は、一般には受け入れられないのかもしれない。
しかし、
いつの日か、
そう遠くはない未来で、
これらの思想が現実のものとして、人々の通念に浸透している時代は間違いなくやってくる。
既婚者にも、当たり前のように恋人がいる時代だ。
ただし、
そういう自由を追求した世界には、
それ相応の責任が伴う。
果たして、
人類の知能が、この種の責任を全うするに足る進化を遂げられるのだろうか、
という疑問には、
今の僕でも
答えを持たない……..。
ーー・ーー・ーー
P.S.-
ところで、
久々に会った友人とも、だいぶ熱のこもった会話のやり取りをしてしまったが、
「それで、どぅするんだぃ?」
という僕の質問に対して、
彼は、
「いや、でもね。
いや、君の言わんとすることは理解(わ)かったよ。
だけどねぇ、
どうも相手にされてないらしいんだ。」
「ほんじゃ、ダメじゃん!」
「だねぇっ。」
ーー(二人爆笑)。
これまでの会話は、一体何だったんだ。
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「5時から7時の恋人カンケイ」↓↓↓