料理長とこの先何年、十何年と一緒に働くなんて選択肢も、一つに見た夢ではあった。料理長にしたって、最後まで僕を傍に置こうと思ってくれていたらしかった。
が、僕にはどうしても音楽の夢があった。それは絶対だった。
当時は、時間が命の時期であり、その頃必要な音楽をやるためには、厨房仕事は幾分拘束時間が長かった。
そろそろ本気で音楽活動に身を投じて行かなければならない時期に差し掛かっていると感じながら、その前にどうしてもやっておかなければならない事に足枷を抱えていた。
しかし、それを丁寧に熟すには、充分な時間が必要だった。その時間の確保がなかなか難しかった。
そんな時、これまた神が手を差し伸べたかのように、ある社長と出逢った。
この方に膨大な時間を頂き、漸くその作業に手を付ける事になる。
その作業とは、自分の持ち曲の見直しだった。
これから音楽で戦うとしたら、今自分が持っている武器の研ぎ味を今一度確かめる必要があると考えていたのだ。つまり、”自分を把握する”必要だ。
高校時代から大学ノートに書き殴っていたポピュラーミュージックの整理も兼ねて、改めて清書用の譜面のファイルと、それに同期させた音源データをパソコンのソフト上に書き込み、一曲一曲に番号を振って行く作業だ。
ボツ曲もあり、手直しが必要なものもあり、畢竟、厳選して丁寧に纏め上げた楽曲群は、1年半の期間を要し、計256曲に纏まった。
少なく見ても、100曲は”戦える”曲だと思う。
話は戻って、厨房。
次何処に行く当てもなかったが、兎に角今のままでは前述の楽曲整理が出来ない、と考えていた僕は「辞めます」の意思を伝えても、なかなか離してくれない料理長(苦笑。それは嬉しかった。)の机の上に、置き手紙と借りていた辞書を置いて言葉なく去る事にした。
料理長がそれをどう思うか心配だったが、いづれまた逢いに来る時に、全て実現していればいい。必ずやってやる。という変わらぬ意思が、僕の行動力を身軽にさせた。
それ以来、料理長には逢っていない。
たぶん、怒ってはないと思う。
むしろ、間違いなく応援してくれている。
僕の”感”がそう言ってる。
それは、二人の過ごした時間が何よりの裏付けとなっている。
そういう自分の呼吸の中に、自分を応援してくれている人達がいる。
僕は日々を生きながら、その人達の表情を時々思い浮かべては、「今出来る事をやれ!」と自分を叱咤する。
その人達のエネルギーと共に今日の強い自分がいる。
だから僕は、自分の夢を何としても実現しなくてはならない。
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ℹ︎料理長とのお話、ここに一旦完結。